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2012年2月 9日 (木)

ドキュメンタリー映画になった聾者の店長 太田辰郎さん

ドキュメンタリー映画になった聾者の店長
太田辰郎さん
2012/02/09 朝日新聞 ひと欄より

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 目が合うまでじっと待つ。

 パチッと合ったら、笑顔で店の奥から
手招きする。

 差し出すのはコーヒーと
「ごゆっくりどうぞ」の手書きの文字。

 傍らには「私は耳が不自由です」と
書かれたプレートと、紙と鉛筆が置いて
ある。

 静岡県湖西市でサーフショップと
ハワイアン雑貨の店を開いて5年目になる。
 生まれつき耳が聞こえない。

 高校時代からサーフショップの雰囲気に
憧れ、ボード製作を志した。
 100人以上の職人を訪ねたが、返事は
「聞こえない人に教える自信がない」。

 教えてもいいという人に巡り合えた
のは40歳の時。
 20年勤めた自動車メーカーを辞め、
「師匠」の元に2年間住み込んだ。
 口の動きと指先を見つめ、技術を
覚えた。

 今も現役のサーファー。
 大会で結果を出せなかった
プロサーファーには、無言で寄り添う。
 「伝える方法は何でもいい。
 大切なのは、伝えたいと思う気持ち
だから」
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このひと欄にはいろいろな人が
登場します。
今日の人も素晴らしい。

>大会で結果を出せなかった
>プロサーファーには、無言で寄り添う。
優しい人ですね。

それにしても何故聾者だと教えることが
出来ないと思うのでしょう?

技術は教えない。
目で見て盗めという話があるくらい
なのに、
聾者には、言葉なしでは何も伝えられないと
思うのかな?

じっくり観察することが、自分で実際に
やることが大切なはず、そこには、聾と
いう壁はそれほど高くないと思うけれど、

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