« ソフトバンクが極秘裏に進めるアジアグリッド構想という奇貨 | トップページ | 落ち葉取り除けばセシウム9割減 森林の除染に手がかり »

2011年9月13日 (火)

「くるまながされてる!しんじゃうよ たすけて」 愛する娘の“最期のメール”が語った避難体制の死角

「くるまながされてる!
しんじゃうよ たすけて」
愛する娘の“最期のメール”が語った
避難体制の死角

――「原発の町」で娘の行方を捜し続けた
父親のケース
2011年9月6日 DIAMOND online


詳細は、リンクを参照して下さい。


---------------------------------------
 「生きているか、死んでいるかは
どうでもいいこと。
 お父さんがお前を探している、
待っている。これがすべて」

 福島第1原発から6キロの地点で津波に
襲われ、亡くなった娘を、防護服を着る
こともなく、死ぬ覚悟で探し続けた父親が
いる。

 娘の遺体は、震災が発生した
3月11日から約1ヵ月半近くにわたり、
現地に放置されていた。

 震災直後に発生した原発事故により、
この地域は立ち入り禁止区域になって
いたため、警察や自衛隊、消防などが
捜索ができなかったからである。

 それでも父親は、決死の覚悟で現地に
潜入した。

 見つかった遺体は、すでに人の体で
あるのかどうかわからなかったという。
 それでも、父親は「俺の娘」と言い
当てた。

今回は、その「生き証人」に取材を
試みた。

 「娘を返してくれよ。
 5分でいいから、生き返らせて欲しい。
 代わりに俺が死んでいい。
 残りの寿命を出す。
 あの子を生き返らせて欲しい」

 白川司さん(51)は、私の前で泣き
始めた。

 腕には、3月11日の震災で亡くなった
娘の遺品のエレキギターを抱える。

 神奈川県の横須賀中央駅前の商店街に
ある、喫茶「かぐ楽」(かぐら)を
今年1月にオープンしたばかりだ。

 娘の葉子さん(25)は、福島県の
東京電力第1原子力発電所から北に約6キロ
の浪江町請戸(うけど)地区で、津波に
襲われた。それ以降、行方不明となるが、
4月17日に遺体となって見つかった。

 遺体は、浪江町の請戸橋から西へ
約400メートルのがれきに埋もれていた。
 直径40センチほどの丸太にしがみついて
いたという。

 24日に葉子さんの夫が安置所に行き、
遺体の首にあったネックレスと、唇の上に
あるほくろを手がかりに、
「妻の可能性が高い」と名乗り出た。

 その後警察から、父親である白川さんが
口の中の粘膜を採集された。
 DNA鑑定を経て、6月上旬に葉子さん
であることが判明。
 19日に、郡山市で葬式が行なわれた。

 白川さんは数秒、間を置く。
 「あなた以外には、誰にも見せていない」
と言い、茶色の封筒から2枚の写真を
取り出した。
 人の顔らしきものが写っていた。
 相馬市の遺体安置所で、警察官から
渡されたものだという。

 私は、目をそらすのをこらえた。
 遺体の顔写真は、東北の被災地で遺族
への取材を行なった際、30人ほどのもの
を見てきた。見るのは苦しい。
 だが、逃げることは亡くなった人と
遺族に対して失礼に当たる。
 そんな思いで、心の中で「くっ」と
小さな声を出し、直視するようにして
いる。

 早速、後頭部が痛くなる。
 遺体を見ると、その直後から鈍痛に
襲われる。おそらく、ストレスなのだろう。
 “死の瞬間”なのだろうか、目を大きく
開き、口を開けていた。

 当日は、きっと丸太につかまり、水に
浮きながら助けを待ったのだろう。
 だが、冷たさのあまり凍死したのでは
ないかと思えた。
 目と口からは、最期まで生き抜こう
とした意思を感じた。

 私は、「この女性の無念の思いを
記事として伝えなければいけない」
という衝動に駆られた。

 「ごめんな、こんな姿にさせて。
 でも、俺の永遠の恋人。
 自分にとってこの写真は全然、気持ち
悪くない」

 そうつぶやくと、写真を茶封筒に
大切そうにしまった。


--「しんじゃうよ たすけて」
津波にのまれる直前に送られたメール--

 葉子さんは、数年前に結婚した男性と
富岡町に住んでおり、1歳の子がいた。
 町は、東京電力の原子力発電所から
数十キロ離れた場所に位置し、人口1万人
ほど。福島第1原子力発電所の放射線・
化学管理グループで、オペレーターとして
勤務していた。

 その日は会社を休み、産婦人科に
向かった。2人目の子の妊娠の検査を
受けるためだ。病院から帰る途中、
大規模な地震が発生した。

 白川さんは、福島県警からもらった
遺体発見の「現場見取り図」を私に見せ、
これをもとに死に至るプロセスを
振り返った。
 葉子さんは病院を出たあと、国道6号線
を走り、友人の家に向かう。
 そこに、1歳の子を預けていた。

 ところが、道は地震の直後から渋滞と
なる。そこで脇道に入る。
 そこは浪江(なみえ)町。
 直進すると海に向かう。
 この辺りは海水浴場であり、大きな
防波堤はない。

 白川さんは、「ここで波にのまれた。
 悪い条件がそろった」と言う。
 私がため息をつくと、携帯電話を
取り出した。
 そこには、葉子さんが地震直後から
音信不通になるまでの数十分の間に、夫に
送ったメールが保管されてあった。

 5通とも、葉子さんから夫へのものだ。
 全てそのままのものを掲載する
(※は私が補足したものだ)。


***************************************

●1通目
「私はぶじだけど国道完全に停止
しちゃってて動けない そしてるいと
連絡がとれない 帰ろうと思っても
車うごかないからどうしたらいいか」
(※国道=国道6号線)

●2通目
「うけどしょうがっこうのちかく
なんだけど、まわりもかんぜんにみず
だらけでどこにいっていいのかわからない
くるましずんできてるからでるね」
(※うけどしょうがっこう=浪江町立
請戸小学校。震災当日は、1階が波に
のまれた。児童数約80人。
 原発から6~7キロの距離にある)

●3通目
「くるまにみずが入り込んできてる
でたほうがいいかな?」

●4通目
「なみえだよ たすけて こわいよ」
(※なみえ=浪江町。福島県警によると、
死者・行方不明者は180人を超える。
 3月12日、福島第1原発が爆発し、
避難区域になる。約7300世帯、2万人が
避難。福島県警などが行方不明者の
大規模捜索を始めたのは、4月14日)

●5通目
「つなみでくるまながされてる!
しんじゃうよ たすけて」

***************************************

「このやりとりは葉子さんの死を考える
うえで重要だ」と指摘すると、白川さんの
声が大きくなる。

 「夫婦で、なんてのんきなやりとりを
しているんだ。
 アホか、と言いたくなる」

 夫には、こんなことを言いたいという。

 「渋滞に巻き込まれたところから
200メートルほど先に、高台がある。
 なぜ、そこに避難しろ、と言って
くれなかったのか」

 だが、娘が悲しむと思い、口にはして
いない。

 震災当日、白川さんは横須賀にいた。
 第1報の瞬間を振り返る。
 「娘は避難所にいるだろうと思ったが、
夫から行方がわからないと聞き、全身の
力が抜けた」

 その直後、第1原子力発電所で爆発が
起きた。その時点で、避難指示は第1原発
から半径10キロに拡大され、浪江町の住民
が車で避難するニュースがテレビで流れた。

 「もう、苦しくてたまらんですよ。
 ここで、じっとしている自分が許せ
なかった。だけど、3月末まではとにかく
待とうと思った。
 もしかしたら、あの子が生きているかも
しれない」

-----

--「あなたまで死ぬ気なの?」
防護服も着ずに浪江町に入った父--

 4月に入った。
 葉子さんの行方はわからない。
 白川さんは、こらえることが
できなかった。

 「もう、父親の自分が行くしかない。
 放射能を浴びて死んでもいい。
 車のナンバーでもいいから、遺品
として欲しかった。
 髪の毛1本でいい。
 それが、親というものでしょう?」

 9日、福島県のいわき市に向けて車を
走らせた。そのとき、別れた奥さんから
突然、携帯電話に連絡が入る。
 「虫の知らせがした。あなたも死ぬ気
なの」と。白川さんは、どう答えたか
覚えていない。

 翌日から15日までの6日間、葉子さんが
音信不通となった浪江町請戸地区に入った。
 途中、福島県警の検問に遭った。
 身分証明書や、葉子さんとの関係を証明
するものを見せた。
 防護服を着た警官は、「来てはだめ
なんだよ」と口にしたものの、それ以上、
何も言わなかったという。

 浪江町に行くと、丸太やがれきが無数に
散らばっていた。車では進めない。
 降りるとき、放射能が気になった。
 防護服は来ていない。
 シャツとジーンズ、そして帽子、マスク
を身に着けただけだった。

 だが、ためらいはなかった。
 辺り一面を見たときに、「娘はもう
生きていない」と覚悟した。

 そのときこう思った。
 「生きているか、死んでいるかは
どうでもいい。
 お父さんがお前を探している、
待っている。
 娘を何が何でも連れて帰るつもり
だった」

 1日2時間をメドに捜索を続けた。
 4時間ほどいる日もあった。
 夕方になると、いわき市に戻り、車の中
などで寝る。
 そして翌朝、また向かう。
 この繰り返しだった。
 2日目には、別れた奥さんも加わった。

 いわき市内の避難所で放射線量の
スクリーニング検査をすると、初日は
200マイクロシーベルト、5日目は
800マイクロシーベルトだった。
 その場で「除染の必要なし」と
言われた。

 葉子さんの車、グレーのオッティは
見つからなかった。
 また改めて来ようと思い、いったん
横須賀に帰った。
 その翌日、警察により遺体が発見された。
 白川さんはギターを抱え、涙をこぼし
つつ、苦笑いをする。

「『こんな体になった自分を探さないで』
と言っていたのかな。
 俺も後を追い、死のうと思った。
 これから先、何を頼りに生きていけば
いいのか、わからない。
 娘の遺品に囲まれていると、心が
落ち着く。放したくない」


--“生き証人”の証言から学ぶ防災の心得--

 白川さんの話から私が感じ取った、
今後の防災を考える上で検証すべき点を
述べたい。

 1.家族、同僚、地域住民が一体で
防災意識を高める

 葉子さんが津波に襲われる直前、夫と
交わしたメールは、防災を考える際、
貴重な材料になる。

 夫婦が津波の実態を予め知っていて、
海に向かうと危険であることや、高台に
上がると安全であることを理解していた
ならば、事態は変わった可能性がある。

 さらに、「なぜメールか」ということも
考えたい。

 私が被災者に聞き取りをすると、震災
当日、被災地一帯は携帯電話がなかなか
通じなかったという。

 特に地震の直後から津波が来るまでは、
多くの人は話すことができなかった。
 そこでメールを使う人が多かったのだ。

 これが被害を大きくした一因と、私は
捉えている。

 打つのに時間がかかるメールではなく、
直接話し合うことができていたら、死者は
もっと少なかったのではないか。

 被災地を回るなかで、亡くなる直前に
このようなメールのやりとりを家族と
行ない、津波に巻き込まれた人は15人ほど
いた。

 それらの文面を読むと、その多くは津波
のことをあまり理解していないように
思えた。

 さらに家族(遺族)の側も、津波の脅威
を軽く見ていたと思えるフシがある。

 避難をためらう人や災害のリスクを
心得ていない人に対しては、周囲の人が
声をかけるなどして、避難するきっかけを
作ることが大切であることがわかる。

 不幸にも、葉子さんにはそれがなかった。

2.避難を最優先する心構えや体制を
つくり直す

 津波から身を守る最も有効な方法を
尋ねると、私が取材した防災学者の全員が
口をそろえて、「逃げるが勝ち」
「少しでも高いところに上がる」と言う。

 一方で、家や車に残ったり、海に
向かったりすると、相当な危険が伴う。

 3月11日の地震の直後、逃げ遅れたのは
葉子さんだけではない。

 政府は岩手、宮城、福島県で避難して
いる被災者870人を対象に、面接調査を
実施した。

 それによると、震災の発生直後に
避難した人は57%に過ぎない。
 42%の人が家族を探したり、自宅に
戻っていたことがわかった。

 この結果からは、家族を探すといった
行動が避難行動を妨げる要因になったこと
がわかる。

 葉子さんは我が子のことが心配になり、
急ぐあまり海のほうに向かって
しまった。

 当日、それと同じような行動をとった
人は多かったと思われる。
 家族の避難については、各自が
それぞれの責任で行なうよう徹底
させることが、必要ではないだろうか。

3.行政や東電の事後対応を厳しく問い直す

 葉子さんの遺体は、1ヵ月半近くにも
渡って現地に放置された。
 浪江町出身の被災者に聞くと、
このような例が他にもあったことを
知らされる。

 震災の翌朝、避難指示の対象地域は、
原発周辺の半径3キロから10キロ圏内に
拡大した。私が取材した浪江町の人たち
は、この時点で南相馬市へ向かったが、
その日のうちに避難指示範囲は20キロ圏内
まで広がった。

 そこで、さらに遠くの会津若松市まで
避難した。こんな状況では、町内で消息を
絶った家族を探しに行くこともできない。

 こうした現実を押さえると、人命救助を
困難にさせたという意味において、
東京電力の責任は重大だ。

 結果として、多くの人の遺体などを放置
せざるを得なくなったことの責任も、
もっと検証されるべきではないか。

 行政や東京電力の浪江町などへの対応も、
検証し直す必要がある。

 NHKの調査によると、原発事故が
起きた直後、周辺住民への避難指示が
出されたが、対象となった10の市町村
のうち6つの自治体(富岡町、楢葉町、
浪江町、広野町、葛尾村、川内村)は、
「国や県から全く情報が来なかった」と
回答している。

 これは私の憶測だが、こうした対応が
大きな混乱を生んだ一因であると
思われる。

 同じくNHKの調査によると、東京電力
も事故の状況について周辺の5つの町に
連絡する義務があった。

 だが、大熊町にはおよそ80枚の
ファックスが届いていたが、浪江町には
全く連絡がなかった。
 楢葉町も一部にファックスが届いた
だけだったという。

 これらが事実ならば、事態は一段と深刻
である。

 葉子さんの遺体が長期間放置されたこと
も、この文脈で考えないといけない。
 ところが、私が目を通す新聞やテレビは、
一部を除いてこうした事実をすでに追って
いない。

 これでは葉子さんをはじめ、この地域で
置き去りにされた人たちの無念は晴れない
だろう。

 私が遺体の写真を見た限りで言えば、
葉子さんは津波が来たあと、しばらくの間、
丸太につかまり助けを求めていた可能性が
高いと思う。

 なぜ、尊い命を救うことができなかった
か。私たちは、考え直すべきではない
だろうか。

 最後に、白川葉子さんのご冥福を
祈りたい。
---------------------------------------

残念です。
本当にこういう記事をみると悲しい。
なんとしても助けたいと思う。

そして思うのは原発事故は決して
起こしてはいけない事故なのだと
いうこと。

たとえ生きていて助けを求めていたと
しても何もできない。
こんなことがあって良いのだろうか?

こういうできごとがあったことをしっかり
反省し、後の為にしっかり生かす必要が
あると思う。

>そうでなければ、この地域で置き去りに
>された人たちの無念は晴れないだろう

>なぜ、尊い命を救うことができ
>なかったか。
>私たちは、考え直すべきではない
>だろうか。

>人命救助を困難にさせたという
>意味において、東京電力の責任は
>重大だ。

>結果として、多くの人の遺体などを
>放置せざるを得なくなったことの
>責任も、もっと検証されるべきでは
>ないか。

|

« ソフトバンクが極秘裏に進めるアジアグリッド構想という奇貨 | トップページ | 落ち葉取り除けばセシウム9割減 森林の除染に手がかり »

社会関連ニュース」カテゴリの記事

コメント

今読んで朝から号泣してしまいました。
私もお父様の立場だったら自分がかわりに死ぬから、って思うと思う。
無念でならないですね。。。。。

たしか宮城だったか、日頃の防災教育のおかげで90%以上の子供達が助かったっていう学校のお話ありましたよね。
やはり津波のときは、とにかく逃げることが多くの人を救う方法ですね。

投稿: ゆきな | 2011年9月13日 (火) 20時38分

本当に悲しい出来事です。

やむを得なかったとあきらめるしかない。

是非、通信会社にも反省してもらいたい。
もし、会話できていたら助かったかもしれない。

普通はこんな、即命に関わるような緊急事態はないだろうから、
難しいことだと思うがなんとかして欲しいと願う。

一律の通信規制で良いのだろうかと思う。

そして常日頃から緊急事態に対する心構えをしっかり体に染みこませて
おくことが大切ですね。

これまた難しいことだけれど、

投稿: haredasu | 2011年9月14日 (水) 11時37分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/210730/52720063

この記事へのトラックバック一覧です: 「くるまながされてる!しんじゃうよ たすけて」 愛する娘の“最期のメール”が語った避難体制の死角:

« ソフトバンクが極秘裏に進めるアジアグリッド構想という奇貨 | トップページ | 落ち葉取り除けばセシウム9割減 森林の除染に手がかり »