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2011年9月18日 (日)

「死んでも仕方がなかった」で済ませていいのか? “釜石の奇跡”の立役者があぶり出す安全神話の虚構

「死んでも仕方がなかった」で済ませて
いいのか?

“釜石の奇跡”の立役者があぶり出す
安全神話の虚構
2011年9月13日 DIAMOND online

詳細は、リンクを参照して下さい。

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 「三陸沿岸に住む大多数の人は、あの
地震の直後に『津波が来る』と思ったはず。

 だが、即座に避難することができなかった
人がいる」

 防災を研究する群馬大学大学院の
片田敏孝教授は、こう指摘した。

 私が震災により2万人近くが死者・
行方不明になっている理由について、
尋ねたときだった。

 片田氏は、今回の津波から多くの
小中学生の命を救った「釜石の奇跡」の
立役者として知られる。

 8年前から釜石市の防災・危機管理
アドバイザーとして、市内の小中学校で
児童・生徒らに、主体的に自らの命を守る
ことの大切さを教えてきた。

 今回は、片田氏へのインタビューを
基に、防災に関する安全意識の盲点や、
我々が信じて疑わなかった安全神話の
「虚構」について検証しよう。

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 片田氏は、東日本大震災直後に釜石市に
入り、多くの死者と向かい合った。
 「2万人近くに及ぶ死者・行方不明者は、
少なくとも3つのカテゴリーに分けられる」
と分析している。

 1つは、足腰を弱くしたり体の具合が
悪く、1人では迅速に避難ができない
「要援護者」。
 その多くは、高齢者だった。

 2つ目は、「職責を全うした人たち」。
 たとえば、警察官や消防団員、
民生委員、自治体の職員、さらには自宅で
治療を続ける親を介護する家族など。

 3つ目は、「避難意識が徹底されて
いなかった人や、その犠牲になった人」。
 たとえば、宮城県石巻市の大川小学校の
教職員や、児童たちである。

 特に1つ目と2つ目は、今回の震災で
大きな問題となり、議論を深める必要が
あると語る。

 「介護が必要な人と介護した人が死亡
した、というところで思考を停止するべき
ではない。
 なぜそのようになったのかと実態を押さえ、
今後の対策を考えたい。
 1人でも多くの人の命を救うことに、一点の
曇りもあってはいけない」

 私は、この捉え方に共感する。
 以下は、片田氏への取材を終えた後に
新聞で報じられた記事であるが、「職責」
を考える際に1つの参考になる。


--「職責をまっとうした」だけで、
死んだ理由の検証を止めてはならない--

 東日本大震災の津波で防災庁舎に避難
した職員が犠牲となった宮城県南三陸町の
佐藤仁町長が「市街地の浸水深は
1~2メートルほどではないかと考えた」と
認識の甘さを認め「重く責任を感じて
いる」と謝罪したことが5日「殉職職員
家族会」が提出した公開質問状への回答
で分かった。

 質問状では、6メートルの津波と
3メートルを超える浸水深が想定されていた
のに、3階建ての防災対策庁舎に職員を
集めたことなどを指摘。
 町は「津波非常配備計画に基づき行動
した。市街地の浸水深は1~2メートルと
考え、6メートルの津波が襲来し、浸水
しても高さ12メートルの屋上に避難すれば
安全と考えていた」と回答した。

 これは宮城県南三陸町の町長が、町役場
の多くの職員が「職責」により逃げ遅れ、
津波で亡くなったことの事情を遺族に説明
し、謝罪したことを報じたものである。

 4月に取材で南三陸町に行った私は、
町役場職員の遺族らが町長の当日の
避難誘導に不満を抱えていることを、
この地域の被災者から聞かされた。

 その一例を挙げると、町役場に勤務する
24歳の女性は、津波が押し寄せる寸前まで
町民に向けて避難をマイクで呼びかけた。
 ついに逃げ遅れ、行方不明となった。
 ある住民は、「上司や町長らは
どのような判断のもと、アナウンスを
呼びかけることを命じていたのか」と
疑問を呈していた。

 だが、多くのメディアは「亡くなった
女性は町役場職員だから、仕方がない」
という認識、つまり「職責をまっとうした
殉職」のように扱っていた。

 片田氏の指摘のように、町役場職員
であれ、高齢者が多い職場で働く職員
であれ、警察官や消防団員であれ、死に
至ったときには「なぜそうなったのか
というと実態を押さえ、今後の対策を
考える」ことが大切だと思う。

 無念の死を遂げている人に対して、
「職責をまっとうした」などという言葉を
持ち出し、そこで思考を停止して
いいわけがない。


 私は、3つ目のカテゴリーである
「避難意識」について詳しく尋ねた。

 「震災当日、住民らの避難意識が
低かったのではないか」と思える話を、
被災地に行くたびに消防団員や住民から
聞いていたからだ。

 片田氏は、「必ずしも、避難意識が低い
と言い切れない」と答えた。
 その一例として、釜石市内で亡くなった
高齢の女性を挙げた。

 その女性は足腰が弱く、「津波から
逃げられない」と判断し、蔵の戸の鍵を
かけて残ったという。

 「女性は『家族に迷惑をかけたくない』
という思いだったのではないか。
 それならば女性を含め、家族が一段と
早く避難することが必要だったかのかも
しれない」


片田氏はこう語る。

 「住民の避難意識が低いというよりは、
多くの人が自らの身を災害から守ろうと
する主体的な意思を持ち合わせていない
ことが問題だ。
 3月11日の震災は、その意識のあり方を
私たちに問いかけた」


--主体的な意思で自らの命を守った人々
99.8%の子どもが生き延びた
「釜石の奇跡」--

 片田氏は、「震災当日の子どもたちの
判断は素晴らしかった」と称える。
川の水が引いていくのを見て、これは
大きな津波が来ると判断し、さらに遠く、
高い高台へ避難した。
「これこそが主体的な意思であり、
災害から身を守るうえで重要なもの」
という。


--“想定”を与えられて安心し、
“想定”に命を委ねて死んでいった--

 片田氏は「これらの流れは批判される
べきものではない」としながらも、
こう警鐘を投げかける。

 「この体制のもとで、多くの人が自らの
命を主体的に守る意識が弱くなった
のではないか。
 つまり、行政任せの考え方である」

 「今回の震災で多くの人が行政から
“想定”を与えられ、それに命を委ねた。

 残念なことに、自ら命を守るという
主体性を失っていた」

 そして、こう締めくくった。

 「行政に身を委ねるという根本的な
仕組みを変えないと、同じような被害が
続く。

 国民1人1人がそれを真に理解する
時期にさしかかっている。

 災害から命を守るのは、自分なのだ」

 8年間にわたり足を運び続けた釜石で、
多くの人の死に涙を流しながら直面した
研究者が語る、この言葉は重かった。


--“生き証人”の証言から学ぶ防災の
心得--

1.死者・行方不明者の「死因」は
 さらなる検証が必要

2.「行政任せ」の姿勢や意識を改める

3.受け身の自助から「内発的な自助」へ
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大切なことです。

「死んでも仕方がなかった」で済ませては
いけません。

真摯に反省すること、死者がでたとすれば、
それなりの理由があるはず、
思考停止してはいけません。
少しでも、被害を少なくするための努力は
惜しんではいけません。

そこには学ぶべきことが沢山あるはずです。

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