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2010年11月 2日 (火)

「人の命の重たさ」について思ったこと

裁判員裁判で初めて、検察側が死刑を求刑
していた裁判の判決がでましたね。
「無期懲役」との判決。

裁判員を勤められた方々ご苦労様でした。

個人としての思いはありますが、判決は
尊重したいと思います。

裁判員の方々には、
「人の命の重たさについて」考え、
重い判断に向き合った日々だったと
思います。

罪はもちろん償って欲しい。
真摯に反省もして欲しい。
でも、それで十分だろうかと思うのです。

「命は重たいものです。」

思うのは、人の命が失われるような出来事
が起こった時、その失われた命を無駄に
しない努力がどの出来事に於いても十分
なされているだろうかということです。

もっとも大切なのは再発防止なのです。
十分な再発防止策がとられただろうかと
いつも気になります。

裁判は再発防止策まで踏み込みません。
裁判は罪を認定するのに都合の良い事実
のみを認定し、罪人を判定するだけ
のように思います。

再発防止策はむしろ裁判とは別のところ
にあると思えてなりません。

裁判のみでは命の重さに十分答えられない
のではないかと思っています。

最近の例で言えば、日航機のニアミス事件
がありました。
ミスを犯した管制官らに刑事罰を科した
ようですが、

「うっかりミスを裁けるのか」
と言う疑問。

今回のミスには、報道を見る限り、無理
からぬ事情もあるように思う。

処罰をすることが再発防止の最善策なのか
極めて疑問に思う。

医療事故にも同様の疑問がつきまとう。

事故が減ってこそ、命を守ることに繋がる。

処罰を科すことが事故の再発を防ぐ最良の
方法とは思えません。
人はミスを犯します。

ミスを明るみに出さなければ、再発防止は
図れません。

これは明らかではありませんか。

どうして命を守るということの意味が
理解されないのでしょうか?

ミスはなんでも許されると言っている
のではありません。

命を守るために、ミスを減らす必要が
あるのなら、そのミスは明るみに
出さなければならないはず。

ミスを明るみに出す何らかのシステム
の構築が必要と思います。
そのシステムを無視し、ミスを隠したと
するなら、その行為にこそ、罰を科す
必要があるのではないでしょうか?

明るみに出すためには、ミスは許されない
というような考えでは、ミスは隠される。
当然でしょう。

結果は再発防止にはつながらず、
命も守れません。
単純な論理だと思います。

「命は重たいのです。」
「同じ事を繰り返してはいけません」

再発防止に消極的な姿勢が多々見られる
のは残念です。
特に専門家と言われる方々、
どうなっているのか理解できない。

マスコミも、どうして事故のその後を
報道しないのでしょうか?

何がどう変わったのかわからない。
どう変化してきているのか、取材して
国民に報道する義務はないのでしょうか?

事故時のみせっせと報道して終わりとは
情けない。

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