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2010年9月21日 (火)

小児科医過労死裁判で勝ち取ったもの

小児科医過労死裁判で勝ち取ったもの
中原のり子
(自殺した小児科医中原利郎氏の妻)

2010. 9. 21 日経メディカルONLINE

詳細は、リンクを参照して下さい。

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 最高裁判所で和解が成立するまでは
苦しい道のりでした。

 労災認定を求める行政裁判では勝訴
しましたが、病院の安全配慮義務違反を
問うた民事裁判においては、その2週間後の
東京地裁で「全く過重労働はなかった」
という正反対の判決内容が出ました。

 「当直は、患者さんがいないときに
眠れる」という判決内容は、私には
どうしても納得できないものでした。

 2008年に出た高裁判決では労働の過重性
こそ認められたものの、「労働は過重
だったが、死は予見できなかった」という
判断が示されました。

 これは私にとっては許せないもの
でした。
 加えて、この「予見可能性」という
考え方は、中原裁判の高裁判決以降、
私が知っているだけでも4件~5件、
労災認定を受けた遺族の民事判決で
使われています。
 これでは過労死を争っているほかの遺族
にも迷惑を掛けてしまいますから、
何としても取り消したかったのです。

 最高裁に上告が受理され、高裁判決が
覆されなければ「予見可能性」という
考え方自体は残ってしまいます。
 ですが、和解が成立すれば、「最高裁が
認めたとは言えない」ことになり、過労死
裁判で雇用者側が「予見可能性」を確立
した考え方として主張することはできない
そうです。

 私は、「半歩でも進めばいいんじゃ
ないか」との判断から、病院が夫に哀悼の
意を表するとともに700万円を支払うという
内容の和解に応じる代わりに、私が裁判
当初から求めてきた、病院からの謝罪と
和解金については問わないことにしました。

 ただし、私はこれで活動を終わらせる
つもりはありません。
 私の目的は、自分の裁判を終わらせる
ことではなく、「今の医療界に変わって
いってほしい」「過労死のない社会を
目指す」ことに変わっていましたから。
 これからも「燃え尽きることなくもっと
頑張ろう」と思っています。

 裁判が終わり、ようやく応援してくれて
いた人たちに恩返しができます。
 このたび、私は全国過労死家族会の
世話人になりました。
 過労死した医師の遺族として名前も顔も
さらしてきてやってきた自分が、何か少し
でも力になれればと思っています。
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本当にご苦労様でした。
そして、これから新たな戦いが始まるんですね。
頑張ってください。

残念ながら、戦う人がいないと変わらない
のが現実です。

世の中を良くして行く為の一歩。
元気で活動出来るよう祈ってます。

関連記事です。
28歳女医、父親の遺志継ぎ過酷
勤務の改善目指す

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