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2010年1月21日 (木)

謙虚に生きる

謙虚に生きる(2010年1月20日)
鎌田實の見放さない・ブログ

詳細は、リンクを参照して下さい。

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 2008年9月、かわいそうな事件が
起きた。
 子どもをほしいと願う女性が、体外受精
を試みた。
 体外受精は成功した。
 受精卵は見事におなかで育ちはじめた。
 喜んでいたのもつかの間、他人の受精卵
であることがわかった。
 悲しみのなかで、人工中絶をした。
 許せない凡ミスである。

 人間はミスをする動物である。
 どんなに優れた人も失敗をする。
 それが人間。
 ミスをなくすことはできない。
 少なくするだけ。

 だからこそ、命にかかわる医療者は
行動変容が必要。
 常に謙虚でありたいと思う。
 失敗しても、取り返しのつかない状況に
しないために、何度もチェックが必要
なのだ。
 「神の手」に近い操作をするときには、
慎重であるべきだ。

 病院側は、「ミス」といって、陳謝すれ
ばすむが、女性にとってはたまらない。
 母になる喜びを一瞬にして奪われた
のである。
 しかも、少しの間、自分の胎内で育ち
だした子どもを人工中絶する。
 赤ちゃんだってたまらない。
 体外受精で無理矢理生み出され、人工
中絶で殺される。
 赤ちゃんだって、こんなことを
思っているかもしれない。

 「いいかげんにしてよ。私の命を
もてあそばないで」

 こんなことを見させられると、科学の
進歩が悲しいものになる。
 科学を暴走させないためには、科学を
コントロールする哲学が必要。

 2006年6月アメリカのイリノイ州
でも事故が起きた。
 腎移植をする患者が、すべて準備を
終えて手術台で待っていた。
 あとはドナーの腎臓が届くのを待つ
ばかり。
 そこに届いたのは、なんと心臓だった。
 臓器の斡旋機関が、ラベルを貼り
間違えたのが原因だったという。

 腎臓移植の手術のために、時間を合わ
せて臓器を取り出そうと待っている
ところに、臓器が届き、ふたを開けたら
心臓が出てきたというのだから、手術室の
医師たちも、さぞびっくりしたことだろう。

 臓器の斡旋機関に注文を出して、臓器を
届けさせるシステムというのは、じつに
合理的だ。
 あまりにも合理的であり、何か滑稽な
システムのようにも思えてしまう。
 不謹慎ではあるが、電話一本で注文する、
宅配ピザにどこか似ている。
 便利といえばたしかに便利になった
のかもしれないが、これを進歩といって
いいのであろうか。

 腎臓を待っている人に腎臓が届けば、
これこそ科学の進歩の恩恵と思って、
何も疑わない。
 命について深く考えることもなく、
現実に流されていく。

 だが、その科学の進歩の恩恵も、危うい
バランスのうえに成り立っていることを、
これらの事故は物語っている。
 体外受精や臓器移植など自然に与え
られた人間の能力を超えるようなことを
するときには、特に謙虚さを忘れては
ならない。

 急激な進歩を続けざるをえなくなった、
21世紀という時代のなかで、ぼくたちは
「謙虚さ」という言葉をかみしめないと
いけない。
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鎌田實さん、
良い話しをいつもありがとうございます。

同感です。いつも「謙虚」であること。

人間はミスをする動物であることを前提
にしたシステムを構築することが大事で
すね。

ミス自体には出来る限り寛容であるべき
だと思います。

大切なのはその後、
ミスを反省材料として、ミスを出さない
システムを構築すること、
個人攻撃のみで、その後がないとすれば、
何のためのミスだったのかとなる。
謙虚に反省し、行動することが大事。

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