【最終回】太陽光発電の「不都合な真実」
【最終回】太陽光発電の「不都合な真実」
人口の絶対的限界は存在するのか?
2009年11月5日(木)
日経ビジネスONLINE
詳細は、リンクを参照して下さい。
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地球規模でのエネルギーと人口と環境の
絶対矛盾については、1970年代からローマ
クラブ(MITのメドウズ等)や、
スタンフォード大学の人口学者P.エーリック
など等が主張している。
エーリックは90年代の著書『人口が爆発
する!』の中で、I=P×A×T:モデルという
のを提唱している。
Iというのは環境破壊インパクトであり、
Pは人口、Aは豊かさ、Tは 技術水準である。
この内、A×Tは、既に述べたように大方
エネルギー消費と換言できる。
こう言うと、Tの値を太陽光発電など
新世代の再生可能エネルギー源の技術開発に
よって減少させ、PやAが一定、ないし
増えても、Iを減少させることが可能と考える
人も多いだろう。
しかし、今、人類が抱えている絶対矛盾は、
技術主義だけでは原理的に解決不能と
思われる。
もちろん、これら再生可能エネルギーの
技術開発や導入、あるいは省エネ技術の
開発を積極的に行う事は、大いにやるべき
ことであり、この点に異論はない。
しかし、現在、世界的にマスメディアや
政治の世界を席巻している、太陽光発電
などで、あたかも環境・エネルギー問題が
抜本的に解決できるかのごとき過大な
楽観論は、例えば1950年代の原子力ハイプ
(誇大宣伝、ないし幻想)と極めて良く
似ていることに注意しよう。
当時、原子力は「夢のエネルギー」と
もて囃され、既に述べたエネルギー
産出/投入比率の意外な低さ、放射性廃棄物
の処理問題、重大事故や核兵器拡散のリスク
はほとんど見過ごされていた。
植物も光合成によって、太陽光発電と
同様に、太陽エネルギーを別の形態の
エネルギー源(糖/ATP)に変換して
利用している。
その変換効率は数%で、一方の太陽光発電
は最大10~20%とずっと高いことになって
いる。
しかし、イネ科の穀物植物や藻類などは
5%以上もあり、それほど大差があるわけ
ではない。
光合成の理論的な変換効率限界も約30%と
されており、太陽光パネルのそれと大差ない。
さらに、植物は自分で自身の体を作って
いるのに対し、太陽光パネルは製造と設置に
外部からエネルギーを投入しなければ
ならない。
このエネルギー産出/投入比率は、最大
10~20倍あることになっているが
(ペイバック期間も同じ)、これは石油より
一桁小さく、粗放農業とほぼ同じである。
人類的意味では、価格ではなくレント
(粗利益)を除いた本来コストで比較
しなければならない。
この本来的コストで比較するならば、
太陽光発電は、石油などの化石燃料との
比較では問題にならないほど高い。
太陽光パネルの関係者や一般メディアは、
最大発電能力をしばしば誇示するが、実際の
発電可能量、即ち稼働率は、その最大能力に
対して約1割にすぎない。
なぜならば、夜は太陽が照らないし、
朝や夕方、曇りや雨の日、冬の太陽光は
弱いからである。
それならば、砂漠で大規模太陽光発電所を
作って長距離送電すれば良いではないか、
という提案も実際になされているが、それは
余り利口な提案ではないだろう。
砂漠での発電はパネルが高温になり、
発電効率とパネル寿命が大きく低下する
からである。
パネルを冷却しなければ実用にならないが、
冷却水は砂漠では通常手に入らない。
植物がなぜ砂漠で生育しないかと言う
根源的な問いが忘れられている。
光合成維持に必要な蒸発冷却用の水が
ないから、生育しないのだ。
だから、太陽光パネルは、各家庭の屋根に
補助電源として設置するのが一番合理的で
あり、それ以上の期待はあまり現実的では
ないという事になる。
要するに太陽光発電に、植物が営々と
数十億年かかって自然淘汰で洗練させてきた
光合成によるエネルギー資源、即ち薪炭など
を画期的に上回るような存在になることを
期待するのは、所詮無理があるだろう
という事である。
産業革命以前の薪炭、牛馬、水車、風車と
同様に、太陽光パネルはフローの太陽
エネルギー利用であって、太陽エネルギー
のストック(貯金)である化石燃料を大きく
代替することはできない。
例えて言えば、サラリーマンがこつこつ
働いた毎月の給料で、伯父さんの莫大な
遺産で遊んで暮している金持ちと同じ水準
の消費をすることはできないという事だ。
既に何回か述べたように、68億人を擁する
現代文明は、この大金持ちの遊び人の
大散財で初めて成り立っている。
ちなみに、現在の世界の耕地面積は既に
全陸地の1/3を占めており、残りのほとんど
全ては砂漠、森林、極地、山岳であって、
農業にも太陽光発電にも利用困難だ。
その、目一杯利用されている耕地が生み
出す食糧の総カロリーは、現在のエネルギー
使用総量のわずか5%程度にしか過ぎない。
原理的に植物と大差なく、かつ土地利用で
競合する太陽光発電で、化石燃料の大半を
代替することは原理的に不可能と考えた方
が良い。
風力など他の再生可能エネルギーも、
詳しく述べる余裕がないが、全く同じことが
言える。
研究者の予算獲得のためや、関連業界の
宣伝のための大風呂敷を真に受けては
いけない。
だから、太陽光発電など再生可能
エネルギーの技術開発や導入だけでなく、
化石燃料の中で環境負荷が一番低い天然ガス
で他の化石燃料を代替し、また原子力を
安全・堅実に利用し、省エネ技術の開発、
贅沢の抑制などを同時に進めるべきだろう。
だが、中国、インドなど途上国の人々に、
「狩猟採集的生活パターンへの回帰」など
考えず、マルサスの罠に囚われたままで
いろと言えない以上、それで問題が抜本的に
解決、軽減できるとも到底思えない。
となると、エーリックのモデルでは、P、
即ち人口を減少させない限り、Iを減少
させることはできないことになる。
現在の68億人は、Iとの関係で既に持続
可能性の限界を超えてしまったのだろうか?
そもそも、地球規模で人口の絶対的限界
というのは存在するのだろうか?
現代人口学の大家、コーエンは、次の
ような趣旨のことを述べている。
「環境悪化にどこまで耐えられるかは、
文化や心理次第の要素も大きく、技術革新
や環境の柔軟性も不確実性が高いので、
具体的な絶対水準を示すことはできない。
しかし、限界があるのは確実だろう」
専門家の多くは、40億から160億の間と
考えている。
人口増トレンドを逆転しない限り、
現代文明は崩壊に直面する可能性が高い
だろうが、どのようにすれば悲劇を伴わずに
人口減が可能なのか誰も分からない。
また、緩い人口減少過程の社会も居心地が
大いに悪そうだ。
筆者が結論として言えるのは、
地球環境問題は恐ろしく厄介な問題で、
安易な解決策などあり得ないという
予感である。
だから、人口急増と激減を繰り返した
中国やエジプトの戦乱と飢饉の苛烈な歴史
を近い将来に全人類的規模でなぞることや、
過去40億年の生物史において99%の種が
絶滅してしまったことなどが頭を
よぎるのである。
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こういう問題も考えておくべきですね。
「太陽光パネルはフローの太陽エネルギー利用
であって、太陽エネルギーのストック(貯金)
である化石燃料を大きく代替することはできない」
と言うのは、正しいと思います。
同様に、他の再生可能エネルギーのコストも
高いというのも正しいでしょう。
化石燃料を使い切ってしまった後は、フローの
エネルギーしかなく、そのコストは高い。
フローでないエネルギーで長期に使えそう
なのは、原子力エネルギーと言うことに
なるので、筆者の言っている結論になる
と思います。
でも、私としては原子力は、危険すぎるので、
使用するにしても、エネルギー源は多様に
して、出来るだけ、再生可能エネルギーの
比率は高めておくべきでしょう。
確かに、地球環境問題は恐ろしく厄介な
問題です。
人口問題も、原子力の安全な運用も、
今の人間のレベルで解決できるのか?
極めて懐疑的にならざるを得ませんが、
人間が賢明な生物であることを祈るのみ
です。
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