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2009年10月27日 (火)

「この映画を見て、チョー感動しました!」は、法律で禁止されるのでしょうか?

「この映画を見て、チョー感動しました!」は、
法律で禁止されるのでしょうか?
2009年10月27日(火)日経ビジネスONLINE


2009年10月20日 (火)投稿の下題のものの
続きです。

「個人の感想であり、商品の効能を確約
するものではありません」は、法律で
禁止されます FTC規約改訂の衝撃

長文になってしまいました。
でも、大事なことのように思えます。
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「表現の自由」の侵害になるのではないですか?

 多く見かけた疑問のひとつが
「行き過ぎた言論統制は『表現の自由』という
憲法が保障する基本的な権利を侵害する
のではないか?」というものです。

 この国の憲法における「表現の自由」は、
「ファースト・アメンドメント
(First Amendment=修正第1条)」と
呼ばれるのが一般的です。
 そして、アメリカ人との会話の中にはこの
「ファースト・アメンドメント」が登場する
機会がとても多いです。
 何かあれば、「それは、私の持つ
ファースト・アメンドメントで保護された
権利を侵害している」とすぐ言います。
 あくまで筆者の個人的な感想ですが、
たいていのアメリカ人なら、
「ファースト・アメンドメントで、
どんぶり飯3杯は軽くいける」と言っても
いいでしょう。
 ですから、今回のFTCの規約改訂に
おいても「ファースト・アメンドメントに
抵触する」、すなわち「表現の自由」を
侵しているのではないか、という反論が
業界関係者からあった事実は当然のごとく
記載されています。

 しかし、それに対してFTCは「今回の
規約改訂が禁止しているのはあくまで
『人々をだます表現』であり、
『人々をだます表現』は修正第1条
によって保護されない」としています。

 ですから、その企業とは全く関係を
持たない個人ブロガーが自分で
お金を出して買った商品を「すばらしい」
「絶対にみんなも買うべきだと思う」と
書くのはもちろん自由であって、
そうした「表現の自由」を規制する
ような意味合いはまったくない、
と強調しています。

 また従来型のマスメディア広告においても、
たとえば、タレントが食品メーカーの
30秒CMに登場し、その会社の商品を食べたり、
飲んだりして、最後に「フー、おいしい~」
とつぶやくような、ごく一般的に「CM」と
消費者に理解される表現においては、
その契約出演料が百万ドルであろうと、
商品売上のマージン契約であろうとも、
とりたてて広告のなかで明らかにする
必要はない。
 なぜなら視聴者から見て、そのタレントが
何らかの広告契約にもとづいてそうした
「コマーシャル・メッセージ」を発して
いるのは明らかだから、としています。

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以下、いくつか事例が紹介されているのですが、
省略します。明確です。
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 何故「ルールの明文化」にこだわるのか?

 今回の事例の紹介はここまで。来週以降も、
まだまだ続きます。
 今週は最後に、なぜ私が、この
「アメリカの」規約改訂を詳細に
「日本の」読者の皆様と共有したいと
思ったか、お話させてください。

 それは、このFTCの規約改訂を日本の
マスメディアが報じた際に、その多くが
「アメリカでネット上のクチコミ広告に
規制」と伝えていたからです。

 しかし、先週からお伝えしてきたとおり、
今回の規約改訂は確かに、ブロガーを含む
インターネットに対する規制もありますが、
それと同時に、FTCは同じルールを、
いま存在するあらゆるメディアや業界関係者
にも適用する、としています。
 そして、来週以降も紹介する詳細な
事例によって明文化しています。

 しかし、日本では、このままいくと
「ブロガーへの規制」という部分だけが
つまみ出されて適用され、従来の
メディアでの慣例は手つかず、という
「ダブルスタンダード」になって
しまうのではないか。
 私はそう強く危惧しているのです

 母国日本には、「新参者は排除する」
という危険な風潮があると思っています。
 もちろん「新参者の排除」は日本以外の
諸外国でも容易に発見することができます。
 「チャンスの国、アメリカ」でもそうです。

 しかし、アメリカは、そうした新参者を
排除しようとする感情が社会にあることを
認めつつ、その実行が難しくなるように
法律での明文化につとめています。

 翻って日本はどうでしょうか?

 アメリカンフットボールのルールは、
明確であり、たとえばプロリーグ、
NFLでも毎年ルールの改訂がされながら、
すべてのプレーヤーに平等に適用されます。

 相手選手のヘルメットをつかむ
「フェイス・マスク」と呼ばれる
反則への処罰は、それを犯したのが
ケネディ家出身のノーズガードであろうと、
デトロイトの貧民街出身の
ラインバッカーであろうと、等しく
「15ヤードの罰退
(反則のペナルティとしての後退)」です。

 またプレーそのものではなく、相手を
口汚く罵るような行為「Taunting」もまた、
「15ヤードの罰退」と明文化されています。


 ところが、日本の国技である相撲では、
「品格」というあやふやな言葉で多くが
片付けられてしまう。

 たとえば、先月、9月場所千秋楽の
朝青龍と白鵬の優勝決定戦の後の、
朝青龍のガッツポーズは「品格がない」と
言われてしまう。
 相撲や武道は単なるスポーツではなく、
日本人の精神性の象徴でなければ
ならないと、メディアに登場する
アナウンサーや解説者やコメンテーター
は言う。

 ではなぜ同じメディアのアナウンサーや
解説者やコメンテーターは、同じく日本の
精神性を象徴する武道のひとつ、柔道の
国際試合における柔道家の同じ行為を
「恥ずべきもの」として断じない
のでしょうか。
 シドニーの井上康生選手も、アテネの
谷亮子選手も、日本人の持つべき「品格」
を欠いたアスリートと糾弾しなければ、
おかしいのではないか?

 ガッツポーズの何が、品格に欠ける
というのか。
 それが明文化されないまま、メディアに
登場するアナウンサーや解説者や
コメンテーターが、モンゴル出身の
横綱を批判する。
 そこに何とも表現しがたい気持ち悪さを
感じるのです。

 何かを成し遂げた瞬間に、両手を天に
向かって突き上げる、いわゆる
「ガッツポーズ」。
 言葉自体は和製英語ですが、世界各地の
人種や文化の壁を越えて存在する、
人間の極めてナチュラルな仕草です。

 百歩譲って、大相撲でのガッツポーズは
とにかくダメなのだ、ということであれば、
外国から来た人であろうと、日本人であろうと、
皆にわかるように明文化すべきです。

 そんな日本で、はたして「フェアな広告規制」
がありうるのか?

 「アメリカでネット上のクチコミ広告に規制」
というマスメディアの報道をみて、やはり
黙っていたのでは危険だと思いました。

 自分が生まれ、育ち、そして愛してやまない
日本で、同じく愛してやまない広告に対する
規制が、アンフェアな形で適用されない
ために
も、このコラムでしばらくこの話題を
書きます。

 今週はこのへんにしておきます。
 続きはまた来週に。
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私にとって大変興味深い内容でした。
同感です。

日本は、曖昧さが美徳とされているような
気がします。

曖昧にするところに大人を感じ、日本の良さとする。

本当にそうでしょうか?

良い面もあるでしょう、でも、曖昧は、問題を
含み、混乱を招きます。

朝青龍のガッツポーズは「品格がない」と言う。

相撲というのは、国技であり、ガッツポーズ
をすることが「品格がない」行為であると
いうのなら、
曖昧にせず、明文化すべきです。

どういう行為がどういう場面で、
品格があり、品格がないのか?
誰にもわからないと思います。

この点、米国の対応の仕方に賛成です。
明確です。
明確にすべきです。

フェアであるべきです。
アンフェアは駄目です。

そういう国に向かって行って欲しいと
思います。

曖昧の文化との共存はできるはずです。
曖昧であってはならないものは、
ならないものとして、明文化すべきでしょう。

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