第4話:「ダメ飼い主はいても、ダメ犬はいない」。犬に“しつけられた”私
第4話:「ダメ飼い主はいても、ダメ犬はいない」。犬に“しつけられた”私
~ペットを看取るということ 天国の犬からの宿題~
今回は、第4話です。
>初日から体が弱く、看病と愛情を一身に受けてしまったためか、
>自分を人間だと思い込んでいるのか、ピピは他の犬には興味のない
>犬に育っていった。
私の家の犬と同じ。
どこか飼い方に間違いがあるのだと思う。
>しかし、私には夢があった。
>それはピピをセラピー・ドッグにすることだった。
>病気やけが、精神的な痛手を受けた人の不安を和らげ、
>心と体を癒やすお手伝いをする訓練された犬である。
>例えば高齢者がいる施設などを訪問し、ふさぎ込んでいる方々が
>その小さな温もりを膝に抱き上げることで、犬にまつわるかつての
>記憶がよみがえったり、無表情だった顔に微笑みが浮かんだりする。
>触れられるのが好きなピピにとって、それは「犬道」を全うする
>素晴らしい役目に思えたのだ。
素晴らしいことですね。
そこで、
>家庭教師を依頼した目的は2つ。
>(1)誰がどう触れようとも、吠えないようにすること
>(2)他の犬とも遊べる社会性を身につけること
>しかし訓練終了後、この状態は日を追って元に戻ってしまった。
>犬は相手を瞬時に見抜くという。
>強いボスつまり訓練士には従うが、私になった途端、
>がまんする行為はピピにとっては意味がなくなったのだ。
>それから2年ほど経て、書店では必ず立ち寄ることに
>なっているペットコーナーで『やっぱりワンちゃんと一緒が楽しい』
>(三好春奈著、エクスナレッジ)という本を手にした。
>パラパラとめくるうちに、著者の生き方に惹かれ一気に読み進んだ。
>そこには、人づき合いにストレスを感じ競馬場の厩務員へと転職し、
>その後コンパニオン・アニマル・アドバイザーになった女性の
>体験と犬のしつけが書かれていた。
>三好さんから電話できめ細かい助言を与えられた私は、
>30分後には「トレーニングをお願いします」と言っていた。
>そうして2002年5月12日、再びピピのしつけが開始された。
>月に1度ほど、6回にわたる自宅での指導であった。
>開口一番、三好さんが言ったことは、「しつけが入りにくいかどうかの
>程度の差はあっても、ダメな犬というのはいません。
>でも、ダメな飼い主はいます」ということだった。
耳が痛いです。
多分、ダメな飼い主なのかも?
>驚いたことに、トレーニング時間の9割は私への「しつけ」なのである。
>「常に整合性を持ってコマンド(指示)を与えているか」
>「キチンとタイミングを見極めて褒めているか」。
>トレーニングを開始して半年後、卒業証書を手にする著者と5歳のピピ
>つまり、オーナーの目配りがあればどんな犬も
>「よい犬」になるということだった。
そうなんだ!
>私は何年もかけて毎日少しずつ、ピピにトレーニングされていったのである。
>そんな時、私の「コンパニオン(相棒)」は
>「マスター(主人)」になるのである。
>結局のところ、ピピにとってはTender Loving Care
>(やさしく愛情を持って気遣う)が一番のご馳走であり、
>生きる糧なのだった。
学ばされます。
このことは、誰にとっても大切なことと思います。
「Tender Loving Care」
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