ありがとう
ありがとう
私決めていることがあるの。
この目が物をうつさなくなったら目に、
そしてこの足が動かなくなったら、足に
「ありがとう」って言おうって決めているの。
今までみえにくい目が一生懸命見よう、
見ようとしてくれて、
私を喜ばせてくれたんだもん。
いっぱいいろんな物素敵な物見せてくれた。
夜の道も暗いのにがんばってくれた。
・・・・・
こんなこと言えますか?
素晴らしい、思いやりの心ですね。
ある意味、幼いからかも知れません。
でも、それを遙かにこえて感動を与えてくれました。
本当に残念なことに、もうこの世にいない若い女性の
言葉なのです。
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私たちは、あまりに、「当たり前」ということに、
普通に行動できることに、慣れすぎていませんか?
普通に行動できることは、当たり前です。
皆さんそうなんだから、
みんながしていることは、自分も出来て当然で、
当たり前のことなんです。
だから、もし、出来ないとしたら、
それは、不満の対象となります。
どうして、私だけできないのか? と
理不尽ではないかと、
でも、そうではないのかもしれません。
当たり前ということが、いかに素晴らしいことなのか、
改めて、思い知らされました。
当たり前であることに、感謝していいはずです。
自由に動き回れて、当たり前。
自由に話すことが出来て、当たり前。
美しい景色を何の支障もなく見ることが
出来て、当たり前。
そう考えます。
でも、それは不遜というものです。
一度しかない人生を感謝を持って生きること。
このことを大切にしなくては、いけないのだと
思います。
確実なのは、今だけしかありません。
だから、今出来ることを大切にし、感謝したいと
思います。
当たり前だと思わずに!
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コメント
当たり前だと思っていることってなくなった時にやっとそのありがたさに気付くっていうことありますよね。
でもそれに対して、なんで今まで気付かなかったんだろう、とかネガティブになるんじゃなくて、「今までありがとう」って思えるのって美しいですね。
ほんと、今、気付かなくては。
投稿: ゆきな | 2009年4月14日 (火) 20時21分
そうですね。
今までありがとう。
大切にしましょう。
ありがとうの心を大切に!
その為に、彼女は、こうも言っています。
>良かった探し、得意なの。
>今の状態を良かったに変えてあげる。
>どうせ生きるのなら楽しくなきゃ
>嫌なんでしょ。
>楽しく生きられるようにするから
>安心してね、すのう。
>そう!幸せになりたかったら、
>待つよりも、そのために
>なにかしなきゃいけないんだよ。
やさしくて、強い!
尊敬しちゃいます。
興味があったら、見てください。
まだサイトは存在します。
http://www.gokuraku-net.org/snow/
涙なしでは、見られませんでした。
幸せ気分とエッセイ。
投稿: haredasu | 2009年4月15日 (水) 08時44分