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2009年4月19日 (日)

手話について

手話の種類については、
「〔コラム〕 手話の種類」を見てください。


手話は、言葉なんだと、
ついこの前、
当たり前だと言われそうですが、
実感として感じました。

あるテレビ番組で、聾者の両親に育てられた
子どもが、誰に習ったわけでもないのに、
手話がわかるのです。

この事実で、はっと、思いました。
手話は、言葉なのだと。

言葉は、習わなくても、親に
話しかけられることから、自然に、
習得して行きます。

誰に、教えられたわけでもなく自然に
親の言っていることが、子に伝わる。

不思議ですね。

手話は、言葉なのだと理解しました。

聾者に育てられた子どもも、自然に
親と会話が出来るようになるのです。

この場合の手話は、多分、日本手話だと
思います。

手話は、豊かな感情表現、心のひだまで
伝えることができます。
むしろ、話し言葉より、正確に伝えることが
できるのではないかとさえ思いました。
すごいことですね。

以前は、聾学校では口話法教育が中心で、
手話は聾学校の中では罪悪視されていたようです。

今から考えると、おかしいと思われますが、

聾の子どもに人工内耳の埋め込みを進める
医師が多いようですが、
本当に、そうするのが、最良なのでしょうか?

人工内耳を埋め込んだところで、
今の技術では、その完成度は、低く、
話し言葉での会話に有効なものとは
言えないように思えます。

むしろ、それより、手話を積極的に教え、
心の通う会話ができるようにすること。
このことが大切なのではないかと
思うのです。

手話を通して、心を通わせることができます。

心を通わせる会話が出来るのかどうかが
重要なのだと思うのです。

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