「見るとはどういうことか」を考えて、みる。
ゾウムシのウロコを見ながら、「見るとはどういうことか」を考えて、みる。
2008年3月12日 水曜日 養老 孟司
見るとはどういうことなのか?
科学とは?
時々こういうことを考えて見るのも良いかも
知れません。
>残り少ない人生の一日を、虫のウロコの剥げ方を
>調べながら潰してよいものか。
>ときどきその種の悩みが混ざる。
>そうなると、ますます仕事自体が遅れる。
うなずけますね。
自分は、何をやっているのかと、
こんなことに何の意味があるのだろうかと、
>ただ剥げる、剥げないといっても、右のように、
>けして簡単な話にはならない。
>だから研究は牛歩になってしまう。
>虫を観察して、なにがわかるんですか。
>これは素人のよくする質問である。
>これに答えるのは、じつは簡単ではない。
>根本にあるテーマの一つは、
>「見るとはどういうことか」だからである。
>科学は客観的だと思っている人がある。
>でも観察はけして客観的ではない。
そうだと思います。
まず、推論を立てて、その推論に従って、
考察するはず、
>見えると思えば見えるが、見えないと思っていると、
>見えない。
>なんだか禅問答みたいだが、そうなんだから仕方がない。
>科学哲学では、これを理論負荷性という。
>ある理論が頭にあると、現実がそういうふうに見える。
>理論がないと、そうは見えない。
>なぜなら、理論がないと、
>見ているものの意味に気がつかないからである。
面白いと思います。
| 固定リンク
「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事
- Webマガジン「Kumadai Now」障がいのある子どもたちも、夢を叶えられる支援をしたい(2019.03.21)
- 新年のご挨拶(2017.01.01)
- 新年のご挨拶(2016.01.01)
- 共感について(2015.06.22)
- 新年の御挨拶(2015.01.01)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント