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2008年3月15日 (土)

「見るとはどういうことか」を考えて、みる。

ゾウムシのウロコを見ながら、「見るとはどういうことか」を考えて、みる。
2008年3月12日 水曜日 養老 孟司

 見るとはどういうことなのか?
 科学とは?
 時々こういうことを考えて見るのも良いかも
知れません。

>残り少ない人生の一日を、虫のウロコの剥げ方を
>調べながら潰してよいものか。
>ときどきその種の悩みが混ざる。
>そうなると、ますます仕事自体が遅れる。

 うなずけますね。
 自分は、何をやっているのかと、
こんなことに何の意味があるのだろうかと、

>ただ剥げる、剥げないといっても、右のように、
>けして簡単な話にはならない。
>だから研究は牛歩になってしまう。
>虫を観察して、なにがわかるんですか。
>これは素人のよくする質問である。

>これに答えるのは、じつは簡単ではない。
>根本にあるテーマの一つは、
>「見るとはどういうことか」だからである。

>科学は客観的だと思っている人がある。
>でも観察はけして客観的ではない。

 そうだと思います。
 まず、推論を立てて、その推論に従って、
考察するはず、

>見えると思えば見えるが、見えないと思っていると、
>見えない。
>なんだか禅問答みたいだが、そうなんだから仕方がない。

>科学哲学では、これを理論負荷性という。
>ある理論が頭にあると、現実がそういうふうに見える。
>理論がないと、そうは見えない。
>なぜなら、理論がないと、
>見ているものの意味に気がつかないからである。

 面白いと思います。

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