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2007年8月31日 (金)

日本の外交文書公開

 朝日新聞の記事より、
 山本大輔、谷津憲朗
 
>透明性 米韓に遅れ

 透明性、透明性と、いつもいわれているのに
何に関しても、不透明な印象です。

 公文書について、扱いがこんなに
いい加減だったとは、知りませんでした。

>NPO「情報公開クリアリングハウス」は01年の
>情報公開法の施行前後に捨てられた中央省庁の
>文書の量を調べたことがある。
>「駆け込み」で00年度に最も多く捨てたのが
>外務省。1280トンと、98年の倍以上だった。

>こんな大量の廃棄が出来てしまうのは、
>作成・保存・廃棄・公開という
>「公文書の一生」をきめるのが、
>公文書を作った当事者の省庁だからだ。
中央省庁の文書管理を定める一般法も
ない。

>情報公開先進国の米国ではどうか。
>特徴的なのは、公文書記録管理局
>(NARA)が第三者として公文書の一生の
>始めからかかわり、評価を行っている点だ。

>「永久保存。5年後に中間書庫へ。30年後には
>国立公文書館へ」
>「不要になった時点で廃棄」

>こうした「記録処分スケジュール」を
>公文書にあらかじめつけることが
>連邦記録法で求められており、
>スケジュールはNARAが承認する。
>承認なく文書を捨てれば、罰金や禁固刑に
>問われる。

>韓国にも、公共記録物管理法があり、
>国家記録院が各省庁を指導・監督する
>権限を持っている。

>大宮法科大学院の早川和宏準教授は、
「行政文書は本来、国民のもの。
持ち主が見られるようにしておくという
当たり前のことが日本は出来ていない」
>と批判している。

>早川寿教授は、内閣府の懇談会は、04年
>海外の事例をふまえ、文書管理について、
>提言したようだが、
>こうした提言を支える文書管理法制が
>不可欠だと訴える。

 過去のことをなかったことに
してしまうようでは、過去の間違いを
又、犯すことになると考えます。

 「行政文書は本来、国民のもの。
  持ち主が見られるようにしておくという
  当たり前のことができていない」

 のが今の日本なのだということを
知りましょう。
 正しく自分を評価出来る国にしなければ、
美しい国など実現できません。

 美しい国にはほど遠いです。

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